心花さんのちょっと困った「くせ」

きもちいい。。。

 心花も産まれてから2ヶ月をすぎ、だいぶお話してくれたり、笑ったり、目で追うようになりました。毎日毎日一緒にいても全然飽きません。1分1分愛しさが増していきます。
 
 そんな心花に、ちょっと気になる「くせ」が出てきました。

 立て抱っこが好きな心花は抱っこをすると、これでもかというくらい体を後ろに反ります。足と頭がくっつきそうなくらい反ります。そんな体勢の心花を抱っこするだんなさまと私の腕はプルプルと震えます。ま、これはまだかわいいほうです。

 「はくしょい」とくしゃみをした後に、「ういー」と言うようになってしまいました。「何で2ヶ月なのに、おじさんくさいの?どこでこんなくしゃみを覚えたの?」
 そんな時、傍でだんなさまがくしゃみをしました。
 「はくしょいーーー。うああ」    犯人はすぐ傍にいました。

 そして何より困っているのが、うんにょをするときです。うんにょをするとき、誰が教えたわけでもないけれど、「うーん」と顔を真っ赤にして力みます。これだけなら普通の赤ちゃんとなんら変わりはないのですが、心花さんは、何と失礼な、おっぱいを飲んでいる最中に必ずうんにょをするのです。
 「おっぱいおっぱい」とせがむ心花に、母乳を与える母親の喜びや幸せを感じるのもつかの間、目を急に見開いて「うーーーーん」とものすごく力み、次の瞬間、「ぶひょっ」と、それはそれは立派なおむつからはみ出すほどの大量のうんにょをするのです。初めのうちは「胃結腸反射が優れているのね」くらいに思って気にもとめてませんでしたが、どうも授乳の最中が多いなあと思っていたら、百発百中、絶対に、見事なまでに、おっぱいを飲みながらうんにょをします。その後の心花はしばし放心状態になり、にたーっと私を見て笑うのです。

 ある日、車で家に帰る途中、心花がおっぱいを欲しがりました。後10分で家に着く頃というときでした。そして案の定、「ぶひょっ」。通りかかりのスーパーの駐車場で、夫婦でオムツ替えをしました。もちろん、オムツはお持ち帰り。そして車中は酸っぱい臭い。。。

 窓を開けたいけど、寒くて開けられない私の横でだんなさまが一言。
 「はー、何て香ばしいいい臭いなんだろう。全然臭くないよね」
 にこにこと、どうやら本気でいっているだんなさま。鼻が曲がるんじゃないかと臭いに耐えている私。そして気持ちよくってきゃっきゃと笑っている心花。
 
 心花の「くせ」も困るけど、だんなさまの臭いの感覚もどうなのよと呆気にとらわれた私なのでした。

運命の人

心花とまめ。。心花はくしゃみの後です

 2000年9月20日、私は運命の人に出会いました。

 夜の勤務だった私が、検温に立ち寄った部屋にその人はいました。患者さんは人工呼吸器をつけた寝たきりのおばあちゃん。話すことも、こちらが話していることを理解することもできません。でもその人は、おばあちゃんに何やら話しかけていました。30分くらい。
 「ちゃんとリハビリしてくれないと困る!!」
と思い、その人にしっかりリハビリをするように言いました。
 「はあ、すいません」
と言って、おばあちゃんの腕の運動を始めました。
 「リハビリ終わりました」  「お疲れ様でした」とそれから10分位してナースステーションに笑顔で挨拶をしにきました。その時のたわいもない一瞬の会話をした時、
 「この人だ!」
と強烈に思いました。何の根拠か分からないけど、この人と絶対何かあると確信しました。その日の勤務も終わろうかとした時、その人の事を思い出し先輩ナースに、
 「今日リハビリもちゃんとしないで、しゃべってばっかの理学療法士がいたんですよ。
  ちゃんと働けっちゅうの。知ってます?あの人のこと」
 「ばか!知ってるも何も、あの人は理学療法士じゃなくて、外科の医者だよ!」

 やばい。。知らなかった。医者だったのか。。リハビリしっかりやれって言っちゃた。。
 ま、でももうすぐ部署の移動だし、もう顔を合わすこともないか。

 10月1日付けで集中治療室に移動が決まっていたので、のんきにその出来事も忘れ、よーし、しっかり働くぞ!っと意気込んで集中治療室に入ると、オペ着を着た彼が机に座っていました。

 げっっ!いる!あのときの人だ!やばい。絶対怒られる!そうです。あの人は外科の先生。集中治療室に外科の患者さんがいるのは当たり前。だから彼がいるのも当たり前。
 な、なるべく目を合わさないようにしよう。。医者って腹黒いから絶対あの時のことを覚えててやり返されるはず!と思ってた矢先、彼の処置の介助につくよう指示されました。
 はう。ついてないなあ。。
 「目、すっごく大きいね」
びっくりしたように彼が私に言いました。
 「はい。よく虫が入って困ります」
またまたびっくりした顔をした次の瞬間、彼が大爆笑しました。何か変なことを言っただろうか???初めての外科の直接介助。何もわからない私に教えてくれながら、緊張をほぐすかのように、この間の誕生日に初めてくるくる寿司に行って初めてトロを食べてとってもおいしかった事、絵を書くのが好きなこと、昔、犬を飼っていたことなど話してくれました。話を聞きながら「この人だ」と思った感覚がよみがえってきて、そして処置が終わる頃には彼のことが大好きになっていました。

 外科の彼がずっと私の働いている部署にいるわけがありません。彼はよく階段でオペ室や医局やレントゲン室を移動していたので、私も外回りの時はちょっとでも彼に会えるんじゃないかと足がパンパンになるくらい階段を昇降するという、今思うと何て可愛らしいことをしてたのってことをしてました。

 初めてデートをすることになった日の前日は、デパートに新しい服を買いに行きました。
 24年間、グンゼのパンツしかはいたことがなかったけど、産まれて初めて下着もブラとパンツをお揃いにしました。最高におしゃれをして、どきどきしながら待ち合わせ場所で待っていた10月のちょっと肌寒い夜7時、遠目にも暗目にもわかる、黄緑のものすごい蛍光色の半そでポロシャツを着た彼が満面の笑顔でこっちに歩いてきました。思わず走って逃げるとこでした。
 「これ、ベ@@ンのポロシャツなんだ」
 得意気に言う彼に「ふーん」としか言えなかったウブな私。別のデートの時、やっとで長袖を着てきたと思ったら、漫画チックな芋が5つ、はちまきをして走っているトレーナーをまた満面の笑顔で着てきた彼。でも、いちばんびっくりしたのは、「暑い」と言ってそのトレーナーを脱いだら、その下に全く同じデザインのTシャツを着ていたのを見たときは「負けた」と思いました。草スキーに行ったら、「ミヤライス」と書かれたTシャツで上から手を振りながら滑ってきた彼。他人のふりをしました。

 医者だけど、全然いばってなくて、髪も地肌が見えるくらいはねていて、ひげも中途半端に、しかもまだらに伸びていて、でも、患者さんには必ず敬語で目線も同じようにする彼。

 まめぞうの彼をみている方は信じられないかもしれませんが、去年まで、彼はかなりの八方美人で、策略家でした。私も何度泣かされたか。。。でも、自分の人生を真剣に考え、周りの人の大切さに気付き、自分の使命を自覚した彼は今はとてもいい顔をしています。

 私の誕生日を覚えるのに3年かかったけど、私の好きな食べ物を自分の分まで私にくれる彼。
 結婚指輪ももらえてないけど、毎日お風呂掃除をして、私を一番風呂に入れてくれる彼。
 美容室に行って髪型が変わっても気付くのに3日は要するけど、つたない私のご飯をおいしいと全部食べてくれる彼。
 私の大好きなましゃを、横はげと言ってわざと私を怒らせるけど、大きな心で私を包んでくれる彼。

 そして何より心花に逢わせてくれた彼。

 5年前に感じた私の直感はピタリ賞でした。私は運命の人に出会えました。

 ここまでくるのには悲しいことも忘れてしまいたいことも許して欲しいこともたくさんたくさんあったけど、今は嫌なことも受け入れていく覚悟ができる心の準備ができるくらいになりました。

 私はとてもとても幸せです。

 みなさんは運命の人に出会えましたか?

 ちなみに、蛍光色のポロシャツはタンスの奥に、芋のトレーナー&Tシャツは寝巻きになりました。
 

 まめの気持ち

かぼちゃのそぼろ煮。。おいしいそう。

 心花が産まれる前、我が家の王様は愛猫のまめぞうでした。雄猫なのにけんかが弱く家の前でひなたぼっこしたいだけなのに、そのテリトリーをおさめている近所のボス猫にやられます。しかも戦う気持ちもさっぱりなく、ただじっと我慢して噛まれています。「まめぞう」という名前のとおり、体が小粒な作りだけど立派に横幅が育っているにゃんこです。
 そんなまめは、抱っこされるのがとても大好きで、特にまめを溺愛しているだんなさまの抱っこが一番のお気に入りです。だんなさんが帰ってくると玄関にお迎えに行き、抱っこをおねだりします。好きな時に好きなだけ抱っこしてもらい、夜は同じ布団、同じ枕で寝る・・そんな毎日を送ってました。心花が産まれるまでは。。。
 心花も抱っこが好きです。起きているときは常に抱っこを要求します。どうしても優先的に心花に手がかかりっきりです。それを分かっているようで、まめは抱っこをほとんど要求しなくなりました。心花が寝た後に「抱っこしてくれる?」と確認するように私たちを見上げてニャーンと鳴きます。その抱っこがたとえ3分でも、まめは喜んでゴロゴロと喉をならし体全部で嬉しさを表現します。
 まめは今1歳です。でも猫は人間の7倍の速さで年をとります。よくだんなさんが「まめが死んだらどうしよう」と言います。もう私たちのなかではペットという感覚はありません。「家族」です。大切な家族の一員です。幸せになる権利があるのは人間だけではなく、同じ生命を持ったもの全てが幸せという気持ちを感じられたらと思います。縁あって知り合ったまめなので、まめの命がつきるまで大事に幸せに育てていきたいと思います。
 たとえ3分の抱っこでも、寂しくても、噛まれて痛くても、ただただじっと我慢しているまめ。でも文句の一つも言わないまめ。見習うところがたくさんです。
 抱っこの時間が短いので抱きしめてあげるときに大好きなことを伝えるようにしています。抱きしめているつもりが抱きしめられて癒されています。まだ子育てが始まったばかりなのでわからないけど、こうやって子供を抱きしめて、大好きだよってちゃんと伝えて同じ目線に立てたら、悲しい事件を起こす前に抱きしめられたぬくもりを思い出してくれるんじゃないかなあ。
 毎朝、グースカ寝ている私の代わりにだんなさまに「行ってらっしゃい」と玄関まで見送ってくれるまめ。本当にかわいい息子です。
 ん?だから私はだんなさまに抱きしめてもらえないのか?

それでも歌う歌

へへへ。。

 小さい頃の夢は「アイドル歌手になる」ことでした。何故かと言うと、小さい頃、親戚の集まりがあるときなどに私は当時好きだったアラレちゃんやピンクレディーを自己流の振り付けで歌いおどって大人たちを喜ばせていました。そうするとおこづかいをくれます。
 「ななちゃんが(私)が大きくなるまでお母さんが貯金しとくからね」
という母におこづかいを預け、私は親戚の集まりがある度に営業活動に精を出していました。おこづかいも嬉しかったのですが、ブラコンの私に大好きなお兄ちゃんが
 「ななちゃんは将来歌手になれるね。そしたらお兄ちゃんがマネージャー
  になるよ」
と言いました。それからの私はベストテンを毎週かかさず見て明菜ちゃんや静香ちゃんなどの歌と振り付けを必死に練習しました。サインの練習にも励み、鏡の前では笑顔のつくりかた、カメラ目線の仕方だって練習しました。
 「なふん(私)はおだてると木じゃなくて空に昇るよね。しかもなかなか
  降りてこないよね」
とよくだんなさまに言われます。大人になった私はアイドル歌手にならずに
 「ななちゃん看護婦さんになったら?白衣が似合うはず。お給料もたくさ  んもらえるみたい。そしたらお兄ちゃんにおいしいマグロのお寿司食べ  させてね」
と、大好きなお兄ちゃんに言われた通り看護師になりました。でも歌は好きなので友達とよくカラオケに行ったりして、おおいに歌い、おおいに踊り、小さい頃の練習の成果を発揮していました。

 だんなさまと結婚する前、彼の誕生日の日にカラオケに行きました。だんなさまを喜ばせたい一心で振り付けをしながら歌いました。気持ちよく歌い終わった私に一言。
 「なふんって、すっごく音痴だね」

 は?音痴って誰が?アイドルになるはずだったのに?サインだって書けるのに?まったく、最近の歌を知らないからそうやって言ってるんじゃないの?もう1曲歌ってやるか。
 「音程がかなりはずれてるよね。あと、歌と踊りのテンポが違うよね」

 今までさんざん人前で惜しみもなく歌い踊ってきました。その時初めて自分が音痴だということを知りました。今までのことがとてもとても恥ずかしくなって、その日から私は人前で歌うこともカラオケに行くこともなくなりました。

 お母さんになってやりたかったことの一つに、童謡をうたってあげるというのがありました。心花に歌ってあげたいけど、音感が悪くなったらいけないし・・。でも、赤ちゃんだからわかんないか。
 「ねーんねーんころーりーよ・・」
 今にも眠りそうな心花に歌ったところびっくりして泣き出してしまいました。他の歌を歌っても、赤ちゃんのくせに眉間にしわをよせます。なんとか聞いてくれる歌は「ぞうさん」と「かえるのうた」です。その2曲しかないので、普通の音程だけじゃ飽きるなあと思ってラップ調で歌ってます。そんな一生懸命ラップ調で歌っている自分を時々不憫に思いながら、今日も心花に歌を歌ってあげます。5回に3回は泣かれながら・・・。

 ちなみに、小さい頃貯金されてるはずだった営業の成果は、私の知らない間に母に投資されてました。
 
 ちなみにちなみに、オレンジレンジの「花」を気持ちよさそうによく歌っているだんなさまも見事な音痴です。

ある主婦の夢

困ったなあ。。

 昨日で心花が産まれて1ヶ月なので検診に行ってきました。採血の結果、特に異常がなく一安心。ただ、体重が他の子供さんよりもハイペースで増えてるとの事。いわゆる「おでぶちゃん」です。よく「パパにそっくり」と人に言われパパは鼻の下をのばして喜んでいるけど、そんなところまでパパに似るなんて。。。

 主婦がこんなに大変な「仕事」だとは思っていませんでした。働いていた時は「好きな時に寝れていいなあ」ぐらいに思っていましたが、それが大きな間違いだということに気付くのにそう時間はかかりませんでした。「何で?」っていうくらい毎日家の中はほこりがたっています。「え?」っていうくらい、特に心花が産まれてから山のような洗濯物。1日2回洗濯機を回すこともあります。だんなさまが帰ってくるまでにご飯の支度。まだ心花がお腹の中にいた時は自由に動けてたけど、今は「ふんぎゃー」と泣いたら抱っこ、ミルク、おしっこ、うんにょ等等。今も心花を抱っこしながらキーボードをたたいています。

 だんなさまによく「目標は何か」「夢は何か」と問いかけられます。うーん、何かなあ、、と毎日浴槽につかりながら考えます。心花を産むまでは「救命ナースの道を究める」でした。でも最近違ってきています。幸せについてあなたがよく考えるようになりました。昔から優しかったけど八方美人だったあなたが、夢や大切なものに気付いた今、本当の意味で優しくなりました。何が違うかというと、言葉だけでなく目の輝きや表情がとても柔らかくなりました。
 私も夢や幸せについて考えました。ちっぽけだと思われるかもしれないけど、やっぱり私の夢は「家庭を守ること」「あなたや心花やまめにたくさんの愛情を注ぐこと」です。あなたが多くの患者さんの力になれるよう、外でしっかり働けるように家を守ること、家族が健康でいられるよう料理の本を片手に栄養満点のご飯を作ること、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」を笑顔で言うこと等です。たわいもない毎日に思えるかもしれないけど、1ヶ月30000円で食費をやりくりしたり、よっちゃんさんに見破られたように貯金にはげんでいたり、洗濯物が上手にたためたと密かに喜んでいたり、「おいしい」って言われるのを期待しながら食事作りにはげんでいたり、どうも音程があっていない歌を心花に聞かせたり。主婦にしか味わえないハッピーを満喫しているのです。

 でも、あなたが言うようにいつの日か外に出て行く準備もしておきたいと思います。大好きな洋服を取り扱う洋服やさんになるのか、やっぱり救命の道を突き進むのか、今はまだはっきりしていないけど、今の自分に満足しないようにするね。

 あ、よく、あふん(だんなさま)のサイトで私のことを「かもにねぎ」と言ってますけど、これは、私がいつまでも若々しくいるよう、ちょっとでもかわいいとあふんに言ってもらえるための私への投資ですので。ちょっとでもかわいいと言ってもらえると、晩御飯が1品増えるし、笑顔も増えるし、そしたら家の中が明るくなって、さあ明日も頑張ろうと思うでしょ?全てはあふんの為ですぞ。けっして、けっして自分の欲望だけではないよー。うっしっし。

 ちなみに、そんじょそこらの鴨じゃありませんから。いい脂がのってますから。

 なんちゃな事をいいまして。

かわいい心花

おじいちゃんとおばあちゃんと。。

 まずは新年明けましておめでとうございます。久しぶりの日記です。なんか初めて日記を書いたときみたいにドキドキするなあ。

 我が家に天使がやってきました。平成17年1月1日生まれ。心花ちゃんです。待ちに待った愛しい愛しい我が子です。
 でも、痛いとは聞いていたけどこんなに陣痛が痛いとは思わなかった。12月30日の夜中から陣痛がはじまりました。この日だんなさまは当直だったので家にはおらず、母に病院まで連れて行ってもらいました。いよいよ出産だという思いと、痛みに対する恐怖とでとても不安。ああ、早く当直終わらないかなあと考えながら規則的にやってくる痛みにたえていました。

 「子宮口はまだ2cmしか開いてないよ。でもおしるしもあってるし、陣痛も規則的に  あるから、出産なことは間違いないね。じゃあ、このまま入院ね」
 LDRという出産待機室みたいなところに入院しました。痛みは定期的にやってくるけど、しっかり朝ごはんも食べました。気のせいか、痛みにむらがあります。うう、痛いという時と、うーんまあまあ痛いぞという時。陣痛ってこんな感じなのかなあと思っているときに、入院と聞いてちょっと焦ったのか、トレーナーを前後ろ反対に着て当直を終えただんなさまが部屋に入ってきました。髪も地肌が見えるくらいはねてたけど、彼の顔を見たらとても心が落ち着きました。さあ、これで夫婦で出産に向かえるのねと意気込んだけど、気が付くと、あと何時間かで2004年も終わりになろうという時間になっていました。夫婦そろって年越しそばを食べ、K−1を見ながら、今年の曙は何分でKOされるのかと失礼な会話をしていたそのとき、今までの痛みとは比べようもない、お尻の骨が絶対くだけるっていうくらいの痛みがきました。

 「いたーーーーーい」
 叫ばずにはいられません。曙がKOされる前に自分がKOされてると遠いところで思いながら、破水がおこりました。
 「6cm開いたね。じゃあ、僕は初日の出見に行ってくるから、帰ってきたときにちょ  うど出産くらいかな。初日の出ベイビーだね」
 ちょっと待て。こんなに痛い思いしてるのに、もうすぐ産まれるかもしれないのに、初日の出だと?人の気持ちもしらないでと心の中でうらみながら、笑顔で出て行く院長先生を見てました。それからすぐに助産婦さんである婦長さんが来てくれて内診してくれました。内診しながら首をかしげてます。
 「2〜3cmしか開いてないんだけど」
 は?6cmじゃないんですか?っていうか、めちゃめちゃ痛いんですけど。子宮口が開いていないとがっかりしながらだんなさまに報告しベッドに入りました。でも、すっごく痛い。はっきり言って限界でした。約3日間寝れず、ただ痛みと戦ってました。「陣痛がまだまだ弱い、こんな痛みじゃないよ」と内診の度に言われ、私は我慢がたりないのかなあと正直へこんでいました。でも、この痛みは尋常じゃない。なんでこんなに痛いのに子宮口は開いてないの?そして2回目の破水が起きました。内診の結果、やっぱり開いていない。おかしいと思った婦長さんがエコーをしてくれました。言われたことは「回旋異常」。赤ちゃんは回りながら産道をおりてきますが、なんと家の子は回らなければならないのとは逆の方向に回っているのです。そのため、陣痛があっても産道にはおりられないのです。確かに夫婦で、他の子とはひとあじ違った子に育てようと話していましたが、まさかこんなしょっぱなから人と違うことをしている。。。
 「さすが家の子だ」
 こんな時にだんなさまはこう言って感心しています。
 「朝まで待って回旋異常が治らなければ、帝王切開ができる病院に救急車で搬送しま
  す」

 働いていた頃、元旦に救急車がやってくると正月早々大変だなあと思っていました。その救急車にまさか自分が乗るとは・・・。結局、私は救急車で大きな病院に運ばれ、あれよあれよと手術の準備が進み、1月1日10時48分、麻酔の効いた遠い記憶の中で元気だけどちょっと高めな声のいろはの声をききました。枕元にいろはをつれてきてもらった時の感想は

 「あふん(だんなさま)のミニチュアばんだあああああ」

 感動の涙は麻酔がきいてても流れるみたいです。看護師さんが優しくぬぐってくれてました。約3日痛みに苦しんだ私は、やっとこれで痛みから解放されると安心しながら丸1日眠り続けました。新たな傷の痛みがあることもすっかり忘れながら・・・。

 我が子がこんなに愛しくかわいい存在なのかと毎日思います。

 私たち夫婦の心にたくさんの花を咲かせてくれている心花。これからの成長がとてもとても楽しみです。

 

出産予定日

出産直前のクリスマスの日。。

 とうとうやってきました。12月29日出産予定日です。私の子宮口は頑固らしくなかなか開いてくれないのですが、昨日「おしるし」というのがありました。今はまだ「うーん、痛いかなあ」というのが40分おきくらいにありますが、のたうちまわるほどでもなく痛いとき以外は普通です。痛いとき(って言ってもまだたいしたことないのですが)に何を思うかって、「だんなさま麦茶飲むよね、作っとかなきゃ」「パンツの着替えは十分にあったっけ?お風呂入れーってせかされないのをいいことに、喜んでお風呂入らなさそうだなあ」「ちゃんとご飯食べるかなあ」なんて心配ばかり。何だか、大きな子供を育てているような。
 今年の夏は本当に暑かった。そんな時に私のつわりはピークでした。水を飲んでも吐き、便器を抱っこしながら、泣きながら3ヶ月過ごしました。「今日は飲み会に行って来るね」と明るく言うだんなさまの背後から、元気ならジャンピングキックをしようと何度か思うことがありました。きつい時って本当に自分のことしか考えられなくて、「このまま死んでもいい」と毎日思っていたのを覚えてます。つわりのおかげで8キロ減ったものの、つわりが終わった瞬間、ごはんってこんなにおいしかったのね、あー、死ななくてよかったと今では体重もしっかり元をとりました。
 ここまでの10ヶ月という道のりはいろんなことがあったなあ。入籍したと思ったら離婚騒動もあったし、引越しもしたし、早産だあと薬も飲んだし・・・。早く赤ちゃんに会いたい気もするけど、体で私だけとつながっているこの感覚がなくなるんだと思うとちょっと寂しい気もします。ただただ、元気に産まれてくることを祈って・・・。


 今年はたくさんの悲しいニュースがありました。そんな1年がもう過ぎようとしています。来年は心穏やかな、悲しみの涙を流す人や生き物が少しでも減るように、私も一人の人間として、親としてできることをしていきたいと思います。


 皆さんにとっても素敵な1年になりますように。